アイヌを利用した卑しい金稼ぎ
僕がアイヌを胡散臭く思ったのは、実は本を読んだからではないのです。
いやむしろそれは後付け。そもそも僕はアイヌに関してはとても好意的であって、漠然としたロマンすら感じていたのです。そもそも僕の親がアイヌが好きで、アイヌの意匠が施された服とかを手に入れて喜んでたのを見ていたのだから、当然と言えば当然でしたね。
さて、そんな僕が札幌に来て、徐々にいろいろな人との繋がりが出来ていった頃に、ある話を聞ききました。そして実は、それがアイヌに対する不信を感じた最初でした。
ではその話とは何か?ですが、それはずばり
「アイヌの紋様は権利でがんじがらめに保護されてて、うかつには使えない」
というもの。地下歩行空間を歩いていると、アイヌの文様と称するタペストリー的なものが飾ってあるのですが、とすると、それは誰かにお金を払って作ってるのかと、僕はとても驚いたのです。
いやいやいやいやいやいや、それって当たり前じゃないか!
と思った人もいることでしょう。けど、ちょっと考えてみてください。おかしくないですか?
アイヌの紋様はアイヌのものって思う人はちょっと考え方を間違える可能性があります。考えてみてください。日本人である僕が仮にものすごいデザイン製作をしたとして、それは
1)僕に権利がある
2)日本国に権利がある
どっちですか?当然答えは1ですよね。誰だってそう答えます。じゃあ「アイヌの紋様」ってのはアイヌのもの?違いますよね?その文様を作った人個人に権利があるわけです。
問題はその個人が果たして「正当な権利者なのか」ですが、ここがはっきり言ってどうにもこうにも胡散臭いのです。仮にアイヌの伝統の文様をアイヌ人が使ったとして「自分はアイヌだからこのデザインは自分のものだ!」などとは言えませんよね。上記の例で言うなら、僕のデザインを違う日本人が「このデザインは俺のもの!」とは言えないのです。極めて当たり前。
日本古来の市松模様とか唐草模様は、実は権利がありません。誰でも自由に使えます。この模様は俺の権利だから、使いたかったら金払え!なんて異常者はいません。もし仮にアイヌ文様もこれに当てはまるなら、そもそも権利を主張すること自体が極めて異常です。
アイヌ共通の独特な文様は、アイヌの人たち(注、アイヌと言っても言語的にも5つ程度に分かれていて、言葉が違うと言うことは文化も違っていたのだから、本来は一括りにはできない)が、どこぞの頭の腐った、何かといえば権利権利とバカみたいに唾飛ばしてわめく木印とは違って、同じ仲間だ、あるいは共通認識として利用できる印として使っていたはずです。
その文様に権利があるというのは、僕には異常なこととしか思えません。
そこから僕はアイヌに対しての認識を見直すことにしたのです。これはおかしいと。今ではすっかり
アイヌ=インチキ詐欺
だと捉えています。もちろんウポポイなんて行くわけないっす。ばっかじゃねぇの?ですよ。子供たちを騙し放題の胡散臭い施設、ウポポイ。まさにこれこそが利権ですよね。
