イデオンの世界観

日本のアニメで正面から「宗教」を描いたのは、個人的な意見では伝説巨神イデオンのみだと思っています。もちろん見えない形で宗教を描いたような作品は散見されますが、堂々と正面から描いたのはイデオンのみ。
だからこそこの作品は凄まじいものになったのだと僕は思います。
少し説明をしたいと思います。イデオンの中でいつも問題となっていたのは気まぐれな「イデ」の発現です。ここぞというときに発現してくれず、よく沈黙しているし、まれに発現してはソロシップの乗組員を救ったりもしています。
そもそもイデとは何か?
という問いは、イデオンのテーマであったし、アニメファンの間でも論争になっていました。
実はこれを一神教的に解釈すると、一番しっくりするのです。
イデとは神ヤハウェなのです。もっと単純に言うなら「神」でも問題ない。ただし、それは日本の神ではないのです。つまり「多神教の神」「八百万の神」ではなく、ヤハウェ、なのです。なんだかよくわからないですか?
そもそも多くの日本人が誤解していることとして、
神様は願いを聞いてくれる(かなえてくれる)
というのがあります。しかし冷静に考えればわかりますが、その場合、神は人間より「下」のレベルになってしまいます。人間の願いを聞くというのは、つまりは人間のいいなり、ある種の奴隷でしかありません。本来、神とは人間よりはるかに上の存在。もしくは全く次元の違う存在。であるなら、人間の願いを聞くこと自体が「異常」でしかありません。本来であれば、願いを聞くどころか、願いを理解することもないでしょう。僕らはアリの気持ちはわからない。ゴキブリは本当は何かを願っているのかもしれませんよ。
神が人間の希望をたやすく叶えるなどという事自体がご都合主義でしかないのです。
神は神の考えで振る舞う。イデとはそういう存在。だから人間の思い通りにはならないのです。
では、なぜそんなイデを頼るのかというと、そうしないと自分たちが死んでしまうから。だからソロシップやイデオンで戦うのです。そうしないと殺されるから。闘いたくて戦ってるわけではなく、仕方ないから戦ってるだけで、だから悲惨。しかもそんな悲惨な状況であるにも関わらず、神は人間を助けてはくれないのです。しかし、それでも頼らざるを得ない。そうしないと死んでしまうから。何かに縋らないと生きていけないから。
このあまりにも強烈な宗教構造がイデオンの骨子になってると僕は思っています。だからイデオンは宗教アニメなのです。
イデオンでは、主人公をはじめとしてヒロイン、サブキャラ、登場人物が次々と悲惨な死に方をしていく事で「皆殺しの富野」という異名を頂戴しているわけですが、これも宗教な視点で見ればしっくりするのであって、実際に劇場版では宗教のメインテーマといえる「死と再生」がしっかりと描かれています。ヌードばかりが話題となったラストシーンも、つまりは宗教世界そのもの。人類を導くのは「メシア」という赤ん坊の形をした神なのです。
徹頭徹尾一神教的な視点で見ると、まさにあれこれ合点がいく作品。それがイデオンなのです。
ところで、僕はこの作品はユダヤ教(古代ユダヤ教)的だと思うのです。なんとなくキリスト教的に見えるように思う人が多いと思うのですが、どうも僕にはイデオンはキリスト教的には思えないのです。
キリスト教とユダヤ教(古代ユダヤ教)の違いはユダヤ教は選民思想が色こく滲んでいるのですが、キリスト教はもう少し普遍的ではないかいうのが僕の考え。誰もが気軽に神と言えるのがキリスト教なのに対して、ユダヤの神は民との間に明確な「契約」を交わしている。だからこその選民思想なのですが、イデの発動は気まぐれであると同時に「良き心」というような発動のための条件がある(と推測できる)のであって、言い換えるなら、
神が納得したときに力を貸す
という意味での一種の契約になってのではないかと。
神を信じることについてはどちらも同じですが、信じただけでOKなキリスト教に対して、ユダヤ教は信じるだけでは不足なのです。いくら祈っても何も起こらないのです。
そんなことをあれこれ考えてしまう。そう考えても破綻しない。それがイデオンの世界なのです。
なお、ユダヤ教についてはこちらが参考になるかと思います。
旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫) 文庫
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