喘息持ちが武漢肺炎を考える
僕は喘息持ちです。ひどい方のレベルで、高度(大発作)を繰り返していました。
上図は独立行政法人 環境再生保全機構より
https://www.erca.go.jp/yobou/zensoku/basic/adult/control/attack.html
喘息の大きな特徴の一つに「発作の程度がひどくなると横になることができなくなる」というのがあります。窒息すると動けなくなり、横になれなくなるのです。というか、横になるのは上記の図のように重篤になる時で、僕はこれで気付いたら病院にいて呼吸器取り付けられていたことがあります。(不謹慎ですが)その時は"お花畑"を見ることがなくて後日「ちょっと残念」などと思いましたが、そんなふざけた発想でもしないと辛かったのですね。
喘息の発作は夜間に起こることが多く、一度いきなり寝る前に発作が起こり、そのまま動けなくなり、救急車を呼べずに苦しんだこともあります。その時の正直な感想を書くなら
「もうわかったから死なせてくれ」
でした。あまりに苦しかったからです。息が本当にできないのです。前屈みになりモノにもたれながら身動き一つできず、目の前が真っ暗になったり真っ白になったりしながら
もう降参!
僕が悪かったです!
死なせてください!
ごめんなさい!
と何度思ったことか。この時は本当に奇跡だと思うのですが、世が明けてきたときに、少し楽になったんですよね。逆に言うなら、それまで耐えたわけです。もちろん楽になった時点で救急車を呼びました。
喘息は本当に辛いのです。この喘息の辛さを表現する際、僕は
自分で自分の首を絞める
とか
長さが1mくらいある直径1mmの細長いストローで息を吸う
とか言ったりしてますが、人によって表現方法は多種多様。いずれにしても死ぬほど辛いのが喘息です。そして喘息は治りません。一生付き合うことになります。さらに、喘息は体を鍛えたから治るモノでもありません。僕は歳の割にはわりと体を動かす方だと思っているのですが、だから問題ないわけではないのです。喘息は体質だと僕は医者から学びました。体質は基本的には変わらないモノだとも教わりました。
例えば、太るのは体質の部分が大きいのであって、太る人が痩せるのは努力の賜物。油断すると太るわけです。体質だから。元に戻ろうとするから。そういう事なのです。
今の僕はやれることをやって喘息の発作が起きないように努力しているわけで、油断したら発作が起きるでしょう。だから油断できません。
肺炎になったことはないのですが、肺炎も喘息も窒息することに変わりはないのではないかと思ったりしています。あくまでも想像でしかありません。実際に肺炎になったら「喘息より辛い」のかもしれません。なぜなら喘息は窒息のみ。肺炎は窒息プラス発熱。僕は滅多に高熱にならない、つまりあまり風邪を引いたことがないのですが、だからこそたまに風邪を引いて熱が出ると、もう本当にグロッキー状態になります。肺炎てのはそれプラス窒息か…。
だからこそ辛さも半端ないとは思うのですが、こればっかりはなってみないとわかりません。もちろんなりたくありませんが。
窒息の辛さは身に染みてます。一気に死ねるならまだしも、適度に首を締めたり緩めたりの生殺し状態は本当に辛いし勘弁してほしい。おそらく同様に肺炎だって死ぬほど辛いだろうな。
もはやパンデミックな武漢肺炎。肺炎なので、重篤化したら当然死の苦痛が待っています。毎日多くの人が亡くなっていますが、本当に辛いだろうなと思わずにはいられません。高齢者が相次いで亡くなっているのですが、簡単に「亡くなった」と言えることではないなと思います。高齢者だって人間。そして痛さも辛さも感じるはず。人生の最後になぜそこまで苦しまなければならないのか、そこまで何か悪いことでもしたのか、罰を受けなければならないのかと思わずにはいられません。
あまりの苦しみの中でも僕が思ったのは、神様への懺悔の念でした。理不尽な苦しみなのに「ごめんなさい」でした。
高齢者の方は何を思うのだろう?
高齢者じゃなくても亡くなっている方もいます。本当に辛かっただろうな。と思わずにはいられません。早くこのパンデミックが収まってほしいと思います。中国に文句を言うのは、たっぷりをノシをつけて返すのは事態が落ち着いてからです。
今は、ただただ、このパンデミックが収束すればいいなと。そう思います。