Fukushima 50とアポロ13
Fukushima 50は是非とも観たい久々の邦画です。邦画目当てに映画館に足を運ぶなんて、何年ぶりだろうというレベルなのですが(あのシンゴジラすら劇場では観なくて…失敗だったなぁ)、とにかく観たいものは観たい。予告編だけで泣いてしまったのだから、これは観に行かないとならない。僕の中ではそういうレベルです。
いつの頃からか、フィクションよりノンフィクション派になり、そしてノンフィクションの中でも「何かに立ち向かう」というものが大好きになりました。そのきっかけとなったのが
アポロ13
です。僕の中では新潮文庫版のアポロ13が文句なしにノンフィクション大賞です。
例によって何度も読み返し過ぎて、2冊も本をダメにし、そしてまた買ったのがこれですが、いずれ感想をYouTubeで語りたいと思っています。本当にマイフェイバリットです。文句なしにナンバーワン。これほどのノンフィクションを僕は知りません。
アポロ13は、それっぽく言うなら、人間の英知、困難に立ち向かう勇気が凝縮されています。宇宙船の宇宙空間での予期せぬ爆発、そしてその後の乗組員の絶体絶命の危機に対して、NASAや関連機関の人間がどのようにして立ち向かったのかが、本当にこれでもかと克明に記されているのです。
壊すことは簡単。しかし、そこから立ち直ることがどれほど困難なことか。
何もしなければ確実に死んでしまう状況の中で、如何にして英知を結集したのか、立ち向かったのか。
Fukushima 50の予告編を観たときに、僕はすぐにアポロ13を思い出しました。もちろんスケールはFukushima 50の方が圧倒的に大きいです。こちらはほぼ日本全体の危機に立ち向かうのに対して、アポロ13は乗組員3名の危機。
けど、どちらも何かに立ち向かうという点では同じです。理屈抜きで「やらなければならない」のです。
ああでもないこうでもないと屁理屈こねてる状況ではないのです。
やらなければならない。
本好き読書好きなのに、僕は「理屈っぽい」ことが大嫌いです。そういう意味では「理屈をこねくり回している」ような昨今の物語は実に苦手です。日本は昔から私小説大国ですが、現在の物語もまさにそう。いや、それどころかどんどんどんどん理屈をこね回すことで自我を肥大化させ過ぎているように思えて、とてもじゃないけど、読めない観れない作品が多過ぎ!と僕は感じています。
そんななかで、このFukushima 50は「ぐだぐだ言わずにやることやれ!」という、ある種の
男らしさ
を感じます。実に魅力的です。Fukushima 50は、理屈を無駄に増幅させない、弄り回さない、こねくらない。そういう物語ではないかと僕には思えました。だからとても観たいのです。
やっぱり、やるべきことをやる。
これでこそ!ですよ。
そもそも、いくら理屈コネ回しても、泣けないのです。理屈で感情は揺さぶられないのです。