ノムさん…
当時のテレビって巨人対〇〇という感じで、とにかく巨人巨人だったし、東北地方にはそもそも球団がなかったものだから、必然的にというか、ある意味強制的にというか、巨人ファンだらけだったんですよね。
そしてテレビをつけるといわゆるゴールデンタイムは巨人対〇〇だから、もう嫌でも巨人なのですよ。
で、なので仕方なくというか選択権もなく巨人対〇〇を見るのです。
嫌なら見なきゃいいというわけで、別に巨人ファンでもない僕は、例えば巨人対広島の時だけ見るなんてことをしてました。大野とか北別府とか津田とか、広島には大好きなピッチャーがいたので。
ところがですよ、巨人対ヤクルトをたまたま見たらこれが面白いのなんのって。
僕は時代に恵まれていたんですね。
古田、飯田、土橋、高津、川崎、池田、宮本、書くとキリがないのですが、たちまち選手を覚えるほどのファンになってしまいました。そしてあの野村監督ですよ。
存在感抜群の。
なので、あっさりと(というわけでもないのですが)広島とヤクルトのファンの掛け持ちとなり、そしてヤクルトのみになってしまうまでにさして時間はかからなかったなぁ。節操がなくてすみません。広島は選手がすごく好きだったのですが、テレビの露出時間が少なくて。東北地方に住んでる身としては、巨人対広島の時しか見れないじゃないですか。
けど、ヤクルトは日本シリーズにも出てきて、するとラジオなんかも聞くようになって、するとラジオでは巨人対〇〇だけじゃなく、例えば大洋対阪神とかもやってることに気づくわけですよ。当然ヤクルト対広島とかね。
そうなると俄然ラジオにもハマってしまって。
実は本格的にラジオを聴くようになったのはヤクルトのおかげでもあるのです。車で走る時には必ずAMラジオを聞いてたのですが、その最大の理由はヤクルトの試合をラジオで聴き始めたことだったのです。
ライオンズとの日本シリーズはラジオで聞いたなぁ。
あれはもう本当にワクワクしました。知将対決で!
そんな中でどんどんどんどん存在感が大きくなっていく野村監督なのですが、この頃から水島新司先生の「あぶさん」をしっかり読むようになって、すると物語の前半はずっと南海なわけで(というか球団名が変わっただけで、ずっと同じチームですが)、そこから派生して色々なドラマを知っていくのでして、すると南海の選手にも親近感が湧くじゃないですか。当然物語には野村監督も出てくるわけで。
こういう言い方は失礼ですが、絵に描いたような苦労人な野村監督で、その割にはなぜかミスマッチに思えた恋愛沙汰なんかで話題を振りまいていたことなども知って、そこがまた人間臭いなぁと共感したりして。
気づけば野村ウォッチャーと化してました。笑
阪神、楽天、シダックスでも監督してしましたね。ネットの発達していなかった時代はスポーツ新聞買ってました。すると野村監督が載ってるから読まずにはいられないし、本好きだから野村監督の本を読まずにはいられないし。
人間らしさを曝け出して、話題を提供して、語録なるものもたくさん残して、晩年はまさに好好爺として、ぼやきも含めて愛されたノムさん。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
けだし名言ですよね。野村監督の訃報に際し、本当に多くの人のコメントも出ていて、みなさんがそれぞれに思い出深いエピソードを紹介してくださっています。いい人だったんだなぁと思わずにはいられません。
散々苦労してきた人生の最後は、みんなから愛される月見草になったんだなぁと思います。
ヤクルトOB会で打席に立ったノムさんを冷や冷やしながら見たのは僕だけではないはずです。
なんか。
また一つ、昭和が去っていくというか。
そんな寂しさを感じました。