ヴォイニッチ手稿は永久に解読不能

ビブリオマニアなら知ってるはずだし知ってるべき写本であるヴォイニッチ手稿。

本物を手に取ってうっとりすることはできませんが、全データならこちらか入手できます。

http://beinecke1.library.yale.edu/download/Voynich-New/

いい時代になったなぁ。

感動ものです。

ヴォイニッチ手稿というのは、作者不明、内容不明、書かれている文字も不明、挿絵の内容も不明、わかっているのは羊皮紙に書かれていることだけというレベルの謎の写本です。写本と書きましたが、そもそも何かを写して書いたのかすらわかっていません。というかオリジナルがあるのかどうかも現時点では不明です。おそらくはずっと不明のままなのだと思います。

いやもうここまで書いただけでもロマンたっぷりですよね。

なにせ謎のてんこ盛りなのですから。

科学的に解析した結果、謎の文字はどうやら言語らしいということはわかっているものの、今だに解読できてはおらず、羊皮紙自体は年代測定から15世紀のものであることがわかっているけど、写本そのものが制作されたのはいつなのかも不明、挿絵に関しても極めて簡潔に書くなら

何が何だかさっぱりわからない

レベルで、素っ裸の人物(らしきもの)が描かれているけど、素っ裸なので文化も時代も不明という、完全なるお手上げ状態なのです。これほどまでに謎すぎると、かえって興醒めしてしまうのでして、ネットでの興味は実は違う方面に流れてしまっているなぁということで、以下ちょっと考察してみましょう。

 

さて、このほぼ全てが謎の写本ですが、はっきりしていることが(羊皮紙に書かれていること以外では)1つだけあります。

それはずばり「誰がその本を持っていたのか」ということ。以下wikiを引用

最初の確実な所有者はプラハの錬金術師ゲオルク・バレシュ(英語版) (1585–1662) である。彼が1639年にアタナシウス・キルヒャーにあてた書簡がこの手稿に言及する最古の資料である。

ということです。つまり持ち主に関してはわかっているのです。そしてこの錬金術師からどのようにしてこの写本が渡り歩いたのかもおおよそわかっています。錬金術師から(あの有名な)アタナシウス・キルヒャーに渡り、そこから図書館に、そしてそこからイエズス会ピーター・ヤン・ベッククスの蔵書となり、そしてウィルフリッド・ヴォイニッチに売られたりして、最終的にはイェール大学に渡って、上記のリンク先で全部見ることができるようになったのです。

であるなら、最初の確実な所有者である錬金術師ゲオルク・バレシュの周辺を探れば、あるいは年代からする歴史を辿れば、この謎だらけのヴォイニッチ手稿の作者がわかるのではないか!

そして、これなら素人玄人を問わずに推測することができるのであって、

作者は誰か

を推測するサイトやブログがわりとたくさん登場することとなったのです。けれど、僕個人はそのどれにも賛成しかねます。冷静に考えるなら、羊皮紙自体が15世期に作られ、そしてこの写本の存在が明らかとなるまでに1世紀を要しているのだから、つまりは約100年もの間があるのだから、やはり特定は不可能ではないかと思うからです。

錬金術師以降の写本の流れはわりとはっきりしているのに、この錬金術師の前に持っていた人物についてははっきりしていないということは、とても重要なことだということには僕も賛成できます。

そして、その事柄から僭越にも素人の僕が推測するなら、以下の3点をあげたいと思います。つまりこのヴォイニッチ手稿は

・この錬金術師と近い関係にある人が所有していた
・なんらかの事情で錬金術師が偶然手に入れた、あるいは盗んだ
・この錬金術師が作者だった

自分がこういうものを持ってますよと(本とか手稿とか、当時こんなことをするのにはえらく金がかかった)書くような人が「誰かから手に入れた」という記録を果たして残さずにいられるだろうか?という点、そしてその記録がないのなら、どういう状態で手に入れたのかを僕なりに推測するとこの3点に落ち着くのです。

家族か誰かが持ってたのであれば、写本の入手先が不明ということもありえます。盗んだものならそこそも入手先なんて書けません。自分が作者なら「高く売りたい」「価値をつけたい」からという理由で入手先不明にすることも考えられます。いずれにしてもヴォイニッチ手稿はこの錬金術師が「取得した」ことから始まるのだから。

 

とまあ、これくらいが僕の精一杯。でも、ちょっと推測するだけでも実に面白いなぁ。

このヴォイニッチ手稿に関しては、解読に関しても様々な試みが行われているものの、どれもこれもが仮説であって、決定版ではありません。素人考えですが、やはりどれも違うと思います。

そもそも本は「誰かに読んでもらうためのもの」じゃないかと思うからです。読めない文字を考えるだけならまだしも、約240ページにも渡って書くなんてのは時間と金の無駄。誰かに「読んでもらうことを前提にして」書いているという考えを僕個人は捨てきれません。

もしも誰かに読んでもらうことを前提として考えるなら、「読める人がいる」ということになります。しかし今に至るも解読不能ということは、誰にも読めないということであって、「当時もそうだったのか」が問題なのです。

いたはや、これぞ正真正銘のミステリー。

皆さんも上記のリンク先からダウンロードしてみてください。そしてミステリーを大いに楽しんでください。