北海道にやたらめったらとあるそのアイヌの看板って、本当に必要なの?

中国発の肺炎の話で持ちきりの昨今。
僕は僕で意見はあるものの、ここは政治系ブログではないので差し控えます。
ひょっとしたらあとでそれっぽいこと書くかもしれないけど、まあ書かないでしょうね。

とりあえずは感染予防をするしかありません。今だに札幌の街は中国人で溢れかえってるしね。
こう書くと人種差別とか言う人がいるかもしれませんが、そう言う人には

「よしわかった。差別はよくないね。僕はインフルにかかってるけど今からしっかりと君とハグしよう!」とでも言ってみるかな。

 

ところで、街中は中国人が相変わらず多いのですが、僕が札幌に住み始めて、あちこち出歩いた際に「なんでこんなにも多いのかなぁ」と思ったのがこれ。

「アイヌ語ではこれこれこういう意味」っていう看板。
なんかもう何でもかんでもアイヌではどうたらこうたらってアナウンス的な看板が本当に多いんですよ。

あまりにも多いので疑問に思っていたのですが、そこへ来てジャーナリストの有本香さんと元北海道議会議員の小野寺まさるさんの動画を見て、さらに疑問が深まってしまったのです。

動画のリンクは差し控えておきますし、政治的な発言はこのグログでは控えると最初に書いているので、具体的な言及は避けますが、僕がアイヌうんたらの看板に対して疑問に思う点は2点。

・そもそもそういう看板は必要なの?
・それは本当に正しいの?

例えば本州でも四国九州でもどこでもいいのですが、いちいち「ここはこれこれこういう意味で名付けられました」って説明書きしている看板なんてそうそうないと思いますし、僕は少なくとも東北地方に関してははみなさんの想像以上にあちこち行ってるのですが、そんな表記なんてほとんど見たことありません。

そもそも地名やその由来なんていうのは、図書館に行ってどんな歴史があるのかを調べたらわかる話だし、いちいちこまめに看板にして押し付けるべきものでもないはずです。

けど、北海道はもうびっくりするくらいに「どこそこはアイヌではこういう意味」という看板だらけなのです。そこまでしてアイヌ語でどうたらっていう意味を押し付けないといけないの?

僕には全くわからないのです。

なぜそこまで押し付けるのかなぁ。少なくとも僕はその看板を見てアイヌに親しみなんて全然感じませんけど。

政治的思想的プロパガンダ的な押しつけは感じますが。

そうそう。こういうことを書くと、条件反射的にアイヌに対する差別がどうとかいう人がいるかもしれませんね。

知らない人が多いかもしれないのではっきりと書いておきますが、実は青森県にもアイヌに由来する地名が多く存在しています。けど、いちいち「ここはアイヌではこういう意味」とか書いた看板なんてないですよ。青森のみならず岩手にもアイヌ由来の地名がありますが、けど、やっぱりいちいち「アイヌ由来」をアピールしているところなんてありません。

そして東北地方では全く「アイヌ差別」なんて話は出てきません。アイヌ地名があるということは「アイヌが住んでいた」わけです。なのになぜ差別の話が出てこないんでしょうね?

東北地方に住んでいたアイヌは少数だから?

それこそ差別ではありませんか?

 

とまあ上記に関しては前々から思ってはいたのですが、有本香さんと元北海道議会議員の小野寺まさるさんの動画を見て「そもそもその表記はほんとうに正しいの?」という疑問も生まれてしまいました。

本当にそういう意味?

例えば開拓民が開拓して名付けた地名を「無理やりアイヌ語にして」ない?

アイヌ語なんて今や死語だし、そもそもが多数の部族がいて、それぞれの言葉が「通じなかった」とのこと。ならば独特の言い回し、つまり「方言」も多かったはずです。それらが全てしっかり解明されているのかどうか僕にはわからないし、だからこその疑問なのですが、あるアイヌ部族ではこういう意味だけど、同じ単語が違うアイヌ部族では違う意味になってたりしませんか?

仮にそうだとしたら、看板でこういう意味と決め付けるのは特定のアイヌ部族の言葉を重んじることになりますよ。それって差別では?

例えば上記写真の例で言うなら、

Aというアイヌ部族では「広い湾」という意味でも、Bというアイヌ部族では「清らかな水」って意味かもしれないのです。そういう場合、どんな根拠でAを採用したのか?

青森県で言うなら、南部と津軽で「発音は一緒なのに意味が違う」なんて言葉はいくらでもあります。その場合にどちらか一方のみを「正しい」とするのは差別ですよね。どっちも正しいのだし。それが文化ってもんだし。

有本香さんと元北海道議会議員の小野寺まさるさんの動画では「ありもしない嘘歴史のアイヌ看板を設置している」という話が出てきます。僕自身調べてみると確かにそんな話は聞いたことがないのでして、こうなると、作った人には申し訳ないのですが、

 

アイヌの看板自体が全部インチキ臭く見えてしまう

 

のですよね。

本当にそういう意味なの?

もう少しだけツッコミを入れると、そもそも多数あった部族を全部一括りで「アイヌ」って呼ぶのはどうなの?とも思います。今のようにしっかりとした制度のもと国や県や市町村が分けられているわけじゃなく、おそらくはそれぞれのアイヌ部族が「国」として動いていたのではないでしょうか?戦国時代のように「〇〇の国」じゃないのですか?これをひとまとめにして「アイヌ」と呼ぶのはそれこそ無知で野蛮な行為では?

ちょっとあれこれ書いてしまいました。けれど、このアイヌの看板、別に政治的な意味で糾弾したいわけではないのです。

ただ単純に看板として必要なのか?そして正しいのか?

そう思うだけなのです。アイヌが嫌いとか好きとかではなく、看板として表記するなら、正しい表記にして欲しいのですよ。いちいち疑ってかからなければならないような、そんな看板だと意味がないのです。

僕の作ったなんちゃってカントリーサインじゃないのですよ。

看板として、ただただ疑問。

ただのそれだけなのです。