是非とも行ってみたい「八幡の藪知らず」という名の聖域
何がすごいって地図で「八幡の藪知らず」と検索するとそのまんまで出てくるくらいに抜群の知名度ってところがすごいのです。いや本当にすごい!
八幡の藪知らずというのは、以前僕は神隠しについての自分なりの見解を書いたのですが、その神隠しにあう場所の一つがこの「八幡の藪知らず」なのです。
都会のど真ん中。地図で見ると「どう見たって迷うわけがない」こじんまりとした場所。なんだよこれ、ロマンのロの字もねーだろ!的なところにあるのですね。しかも大きさはまさに大きな一軒家サイズ。迷えるものなら迷ってみたい!なんて傲慢な言葉もついつい言いそうになります。
地図では思いっきり近くに市川市役所建設中なんて表示もあるくらいなので、どれだけこの場所が都会なのかがよ〜くわかりますよ。
でも。
でも、この八幡の藪知らず。かなりの昔から「禁足地」であり、少なくとも江戸時代からそういう言い伝えがあるというのだから、おそらくは何かの事件がここで起きた、あるいは霊的な場所として使われていたんだろうなぁというのは想像に難くありません。言い伝えとしては
日本武尊の陣屋説
平良将の墓所説
平将門の墓所説
平将門の家臣の墓所説
将門征伐のために布かれた八陣の法の跡
その他、昔の豪族・貴族の墓所とする説
水戸黄門が迷って出てこられなかった説
藪の中央部の窪地から毒ガスが出でいるという説
藪に底なし沼があるという説
葛飾八幡宮の跡地説
至近にある葛飾八幡宮の旧地とする説
近隣の行徳村の飛び地(入会地)説
とwikiには書かれていますが、これだけの説があるということは、つまりは「なんだかよくはわからないけど(何か強烈な出来事があったために)立ち入るなということになった」ということなのでしょう。これといった有力な説にまとめることができないということは、つまりはしっかりした根拠はないということ。そしてよくわからないけど、ダメなものはダメという極めてシンプルな考え方でもって、理由は「後付け」で今日まで続いてきたのだということ。
僕はそれが悪いことだとは全然思ってないし、むしろ以前書いたように、謎は謎のままで残った方がいいという考え方なので、この八幡の藪知らずに関しても、それでいいのではないかと思っています。
というか、こういうことに関する畏怖というものは、例えば仏壇や墓地などに対して普通に感じることですよね。そういう場所で妙なことや変なことは、少なくとも僕にはできませんし、多くの人もそうではないでしょうか?北海道神宮なんて、僕はわりとよく行くのですが、やっぱり気持ちがシャキッとなるし、参拝を済ませるまでは写真を撮ることも自分では禁止してるくらいです。
そうそう。話はズレますが、参拝の仕方が問題になることがありますが、あくまでも個人的な見解としては、まずは気持ちだろうと思います。敬う気持ちがないのに形だけをしっかりさせたところで、それがなんだというのだろうかと思います。逆に敬う気持ちがあれば、少々参拝の仕方がおかしくても問題ないはず!敬う気持ちがあればそもそも「事前に参拝の仕方を調べようとするでしょうし」。それこそが気持ちってこと。
昔から続いていることやものに関しても、何かがあるからそうなのです。そして残していいものに関しては、残していった方が心が豊かになると僕は思います。
そんな八幡の藪知らず。もちろん見に行きたいですよ。中に入ろうなんて微塵も思いません。ロマンはロマンのままで。
僕はただロマンを楽しむのみなのです。